2012年08月21日

8月19日 歴史ウォーク・首里はたらく 参加者レポート

8月19日に開催された
「歴史ウォーク in 首里 首里王府のシゴト場めぐり」
の参加者からのレポートです。仲間さんありがとうございました!キラキラ 

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沖縄の夏の風物といえば、県民誰しも1位にあげるのは高校野球。地元の高校を県民あげて応援し、試合の時間帯は車道もガラガラになるほど。

そんな時にも関わらず、若人を中心に多くの方々が、首里城とその周辺を散策し、琉球王府について学ぶために集まった。(かくいう私もその一人(笑))

講師は、那覇市歴史博物館の、喜納大作さん。丁寧に説明し気さくな雰囲気で質問に答えてくれる方だ。琉球王府のそれぞれの役所について、仕事の内容や役人数、給料などから、わかりやすく解説したレジュメを用意してくれていた。

スタートは県立芸大のキャンパス入り口。「貝摺奉行所」という、日本や中国への献上物となる漆器を扱う役所の跡地だった。芸術と漆器、繋がっていたのだろうか。

裏手には、琉球王府の最高学府、「国学」の跡地があった。私の母校である首里高校の前身。ルートの関係で跡地の入り口しか見ることは出来なかったが、こんな所にあったことに驚いた。

8月19日 歴史ウォーク・首里はたらく 参加者レポート

首里城では、小説「テンペスト」の主人公や脇役のいたであろう場所で、それぞれの役人の仕事ぶりを当時の公文書などから説明された。小説や歴史書を読んでもなかなか頭に入らなかった事が、ものすごくリアルなイメージで浮かんできた。

親が出生届をめんどくさがって10年も出さなかった例があったそうで、ウチナーンチュは昔も今も変わらないのだね、と言って参加者で笑い合った。

8月19日 歴史ウォーク・首里はたらく 参加者レポート

首里城を出て歩くと、普通の住宅街にポツンと案内板が立っている所に来た。実は由緒ある寺の跡地だった。沖縄戦の戦禍をかいくぐって残る石畳があるものの個人の住宅になってしまった場所など、住宅街の中に寺の跡地が各所にある。琉球王朝時代は、王府の支援を受けて多数の寺が門を連ねていたそうだ。さながら奈良か京都のような風景だったらしい。それが琉球処分後急激に衰え、沖縄戦の惨禍で、残った建物も壊滅した。

8月19日 歴史ウォーク・首里はたらく 参加者レポート

「さながら雪が一面に降り積もったように見えた」というのが、沖縄戦で生き残った方の一人の、全てが灰となってしまった首里を見た最初の感想だったそうだ。沖縄で雪を見ることは過去もこれからもないだろうが、それほど貴重な文物を、この戦争で失ったのかも知れない。

今、首里城、そして旧県立博物館跡地をはじめとする各所で発掘調査が続いている。多くの支援者を集め早い時期に復興を遂げた寺院、施設を改修した寺院もある。

私の高校時代の首里は機能的な街ではあったが、首里城も復旧途中で、今のような歴史や文化の薫りを感じる街ではなかった。

私は最近三線を始めたが、身近な範囲でもっと沖縄の歴史や文化を学びたい、そして文化の復興を支える一助ともなれば、と今回歩いてみて思った。

そんな考えが浮かんでいるうちに、真夏の暑い中の散策3時間はあっという間に過ぎ去った。昼食のため入った食堂のラジオで、地元の高校が惜敗したことを知った。正直かなり悔しい。でも、その悔しさを補ってかなり足りるぐらい歴史の奥深さを知った満足感でいっぱいになれた。

文・写真
仲間なおき (30代)


8月19日 歴史ウォーク・首里はたらく 参加者レポート

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仲間さん撮影の素晴らしい写真の数々!以下のリンクから見れます。赤ハイビスカス
https://plus.google.com/photos/114540021216431670097/albums/5778345421555626401



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Posted by 琉球ニライ大学 at 18:27│Comments(0)授業レポート
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